阿部譲二のMのある風景―あるM男の告白
私がM性に目覚めたのは、高校の頃だったと思います。時代劇で高手小手に縛られた男の映画を見た時でした。緊縛で自由を奪われるというイメージに興奮した覚えがあります。その後、女性の手で縛られ自由を奪われて嬲られる快感、そして女性崇拝と順調に正統的な(?)マゾとして成長して行きました。猿轡や監禁が、自由を奪う手段として緊縛に加わったのは自然な流れだったと思います。
その頃、奇譚クラブや風俗草紙などを、本屋でこっそり買い求め、親に隠れて読み、オナニーに耽ったものです。当時の奇譚クラブに連載された沼正三さんの「家畜人ヤプー」「或る夢想家の手帳」で女性の便器にされて屈辱にもだえる男心を知りました。女性に身体の自由を奪われるだけでなく心の自由も奪われる、全人格を支配されるのが被虐の極地と写ったのです。それが屈辱派への転機だったと思います。女性から与えられる痛みや苦しみで興奮するのではなく、それに伴い女性から受ける精神的支配で性的な刺激を感じることを体感したのです。
生来、極度のフェミニストで、常に女性に憧れと或種の畏敬の念を抱いていたため、女性に仕え下に見られたい、奴隷になりたいといった願望から、さらに進んで女性から軽蔑と辱めを受けることに性的な興奮を覚えるようになったようです。しかし受験に就職、そして多忙な業務に毎日を送る様になると、何時しかこうした世界からも遠のいてしまいました。
それが、再燃したのは、実は私が中年になってからのことです。たまたま私は、仕事の都合で静岡県の田舎にある支社で、約五年間の単身赴任生活を送ることになりました。 旅費が嵩むので、関西の家には月に二回程しか帰れません。無聊を慰めるために、SM系交際雑誌を買ってみたのが病み付きになり、その内、思い切って自分から投稿してS女性との交際を求める気になりました。当時はまだインターネットも無く、郵便での連絡が主でした。そこで巡り会ったのが、あるS夫婦だったのです。
本当のS性を持った女性は極めて稀ですが、この奥さんは御主人に刺激されて、持って生れたS性を開花させたそうです。御主人が女奴隷に小水を飲ませるのを目のあたりにして、"私も飲ませたい!"と心の中で叫んだのがきっかけとか。しかも、中々の美人で、私好みの肉付きの良い体形の女性でした。私は、この奥さんに御主人の目の前で散々辱められ、奴隷として徹底的に仕込まれたのです。それは、一時のプレイではなく、日常的な女主人と奴隷の関係でした。
奥さんには、決して対等の口をきくことは許されず、人前でも"お前"呼ばわりされました。流石に、公衆の面前で辱めを受けることはありませんでしたが、道を歩いている時でも、あたりに人が居ないことを確かめると、私に口を開けさせ、ニヤニヤ笑いながら私の口中に唾を吐き込むのです。暗い夜、レストランで夕食の後、裏手の暗い田圃の畦道の上に仰向けに寝かされ、顔の上に跨がられてビール味の小水を飲まされたこともあります。
週に一回は必ず呼び出され、延々と夫婦のセックスに奉仕させられました。顔を奥さんの尻に敷かれ、目の前でクレバスに出入りする肉棒を下から舐めるのです。そして終った後は、生臭いジュースをたっぷり時間を掛けて吸い取らされます。又、御主人のジュニァを元気にするために、フェラチオを強制されました。
「歯を立てるなよ、歯を!」
とやかましく言われ、私は上下の前歯を唇で包みながら喉に差し込まれたペニスを、懸命にしゃぶりました。そのせいで唇の裏側に傷ができた程で、喉の奥を繰り返し突く亀頭で吐き気を催すのを必死でこらえたものです。傍から奥さんが笑いながら、
「もっと首を振ってぇ……いいわよ、その調子!……ウフッ、あなた、一度そのまま飲ませてやったら?」
と声を掛けます。そして、初めて経験させられた口内発射!……喉の奥の粘膜にチュッ、チュッと繰り返し衝突するザーメンの感触にむせながら、悔し涙を流したことを今でも覚えています。それは、どれをとっても、思わず目がくらむような強烈な屈辱の経験でした。
奥さんは生理が軽く、しかもその期間には性感が高まり易い体質だった様で、月に一回のその時には、必ず呼び出されて経血を直接吸わされました。勿論、続いて長時間の舌奉仕をさせられます。赤く染まったタンポンを口の中に入れられ、白くなるまでしゃぶらされたこともあります。
今でも鮮かに思い出しますが、或時、私の顔に跨がった奥様が、私の鼻孔に肛門を当てがい、放屁したことがあります。
「いっぱーつ……ウフフ、そら、にぃはーつ……それから……さんぱーつ……クククッ、あーおかしい!」
高らかに数える奥さんの尻の下で、初めて経験するこの屈辱に、全身を震わせてもだえる私でした。
小水は、色々な体位で、一日に数回も飲まされました。大便の方は流石にこれまで二回だけ、ヘマをやった罰として口で直接受けさせられました。顎がはずれんばかりに開けた口に体重を掛けられ、口中に落されたその汚物は、咽喉を通った後、胃から再び逆流して来ます。しかし、奥さんの尻でしっかりと口に蓋された私は、涙を流しながら無理矢理それを飲み込まされたのです。
約二年半の後、その夫婦は、突然遠くへ転居することになり、女主人と奴隷の関係は、それまでとなりました。
しかし、一旦Mに浸る生活に目覚めた私は、新たなS女性を求めて投稿を続け、その甲斐あって、一年の空白を置いた後、ある三十代前半のOLの奴隷として使われることになりました。このOLの女性は、Sと言うよりM男を利用して雑用をやらせるのが目的だった様で、今で言えば、いわゆるエプロン奴隷の役割をさせられました。何時も、週末には彼女のアパートで掃除や洗濯、それに靴磨きなどに終日こき使われました。
しかし、彼女は、私に奴隷の身分を認識させるためと称して、パンティを穿いたまゝ私の顔の上に座りこみ、テレビを見ます。散々尻臭を嗅がされた後、じっとり湿ったアナルを舐めさせられるのが常でした。又、きまって、とってあった何枚かの汚れたパンティを舌で舐め清めさせられました。しかし小水を飲まされたのは、可成り時間がたってからのことですし、彼女のセックスに舌で奉仕する様になったのは、彼女のアパートに通い出して一年も経ってからでした。
私が彼女のセックスに舌奉仕するようになったきっかけ、それは、たまたま掃除に呼ばれたのが、彼女のボーイフレンドが来て帰った直後だった時です。物憂げにドアを開けて私を招じ入れた彼女は、
「こっちへ来て」
と私を寝室に呼び入れました。
「そこへ仰向けに寝て!」
と言われてベッドの横の床に横たわった私の顔の上にしゃがみこんだ彼女は、目の前で股間に挟んだティッシュを外しました。
プーンと独特の臭いが鼻をつき、顔に触れんばかりに迫った彼女の股間にみるみる白い液が湧き出てきます。
「舐めて!……きれいにするのよ」
彼女の声と共に、その部分が私の口にじわりと押し付けられました。
ズズッと音を立ててそれを吸い込む私の耳に、クックックッと彼女の笑い声が聞こえ、私の頭にはカッと血が上りました。
「舌の先を入れて……そうそう、もっと深く!」
膣に深く差し入れた舌の先から、またドロッとした液が口中に流れ込んできます。
充分吸い終わった頃、彼女の腰が私の顔の上で前後にゆっくりと揺れ始めました。股間が私の鼻から唇にかけて繰り返し擦るように押し付けられ、言われるままに出した私の舌を蹂躙します。腰の動きが激しくなり彼女が頂点に達するまで、30分以上掛かったでしょうか……
股間が痙攣してアクメと判った瞬間、彼女の全体重が顔にかかり私の呼吸を奪いました。屈辱よりも窒息の恐怖に駆られて彼女の尻の下でもがく私がやっと許されたのは、それから暫くしてからです。
これを機に、掃除の後は必ず彼女のセックスへの舌奉仕を命じられました。体位も仰向けの私の顔に跨るだけでなく、ベッドに仰向けに寝た彼女の股間に顔を挟まれた姿勢でも延々と奉仕を強要されました。
彼女は私の後頭部に両足のかかとを掛け、私の顔を自分の股間にグッと押し付けます。少しでも舌を休めると後頭部をかかとでこづかれ継続を命じられました。時には両手で私の髪や両耳を掴み両股で私の頭を締め付けて、無言で舌奉仕の継続を指示します。
奉仕に満足した時は足裏で私の頭を撫でてくれるのですが、こうした仕草からも、私を単なるセックスの道具として蔑んでいる彼女の心理が読み取れて、十分に屈辱的でした。
一旦頂点に達しても直ぐに開放してくれるわけではなく、腰をずらして後頭部に掛けたかかとで私の唇にアナルをあてがうのです。そして両手で尻の双球を開きウッとりきむとアナルの菊座が隆起します。その中に舌先を差し入れるのですが、括約筋の力が勝って中々舌先がアナルの中には入りません。懸命に努力しても1センチくらいしか入らないのです。
後頭部をかかとでこづかれながら、アニリングス(肛門舐め)に専念していると再び太股がうねり、私の顔を彼女の股間に連れ戻します。そして再び頂点を目指しての舌奉仕を求められるのです。こうして、延々3時間を越える舌奉仕の後でやっと開放された私の唇は痺れ、舌の付け根に触れてみるとグリグリと小さな血玉が出来ていました。
この関係が二年程続いた後、残念なことに、私が東京へ転勤になったのです。それ以後の私の経験については、また機会を見て書いてみたいと思います。