019#19転落の居候生活(召使奴隷の悲哀)
                阿部譲二作

広壮な屋敷に住む主人と美人妻。そして離れには主人の学生時代の友人で、その美人妻に想いを寄せていた男が居候として厄介になっている。莫大な借金を盾に美人妻から召使になるように強制された男は彼女にこき使われる。お躾けと称して毎日彼女の足裏を舐めさせられ顔を女の尻に敷かれる男。やがて夫婦の性奴隷にされ女中達の尻まで舐めさせられる。

  めっきり日が短くなり、もう幾分肌寒さが
感じられるようになった、秋深い一日の事で
ある。
 日はとっぶり暮れ、都心からかなり離れた
ここ、緑ケ丘にある閑静な住宅地は、すでに
夕闇に包まれていた。
 その一角にある広壮な高橋邸では、主人夫
妻が夕食の後のくつろいだひと時を過してい
た。
 離れた女中部屋の方向で、かたずけ物の音
が静まる頃から、広い前庭に虫の音がしげく
なった。
「ねえ、ちょっと、あなた」
 婦人雑誌のグラビヤ頁を、和服の膝の上で
繰っていた静子の指が、一瞬止まると、甘っ
たれた鼻声が夫の勝造に呼び掛けた。
「ふむ………」
 夫は、口の中であいまいにつぶやいただけ
で、夕刊を読むのを止めようとはしない。
 二つ折りにした座布団を首の下に当てがい
仰向けに畳にひっくり返って、上に突き出し
た両手が新聞を支え、顔を隠していた。
「見て。………これ、ちょっと良い柄じゃな
いこと?」
「また着物か。この前、ひとつ作ったとこじ
ゃないか」
「だってぇ、………あれは少し地味すぎたん
だもの。見るだけでも見てよ。ねえ」
 静子は和服の上体を柔らかくくねらせて、
夫の方へむっちりした膝をにじらせた。
 資産家の二代目を継いだむすこが、その容
姿に惚れて、周囲の反対を押し切ってもらっ
た若妻である。
 その経歴をとやかく言う人も多かったが、
蛍光灯の白い光の中に浮いた女の顔は、びっ
くりするほど美しかった。
 しかし甘い新婚生活も一年を越すと、そろ
そろ最初の小さな曲り角に来る。
 と言っても、この美人妻に対する勝造の興
味が薄らいだと言う訳では無かった。
 それどころか妻の美しさは、いまだに彼の
自慢の種である。
 しかし静子の閨房でのしつこさは格別で、
流石、若さを誇る勝造も、いささかへきえき
気味だった。
 自然、忙しさにかまけて、このところ夫婦
のセックスが遠のき勝ちである。
 そのことが、この夫の今夜の負い目になっ
ていた。
「ちゃんと見るさ」
 ハラリと新聞が、カ―テンを引くように取
り除けられた。
 現れた顔は中々美男子である。鼻が高く、
彫りの深いところは、外国の映画俳優を思わ
せた。
「一体、いくら位するんだ、これは」
 仰向けの姿勢のままで雑誌を受け取り、写
真の頁を下から眺める。
 着物のモデルは、勝造が学生時代からファ
ンの、去る高名な女優だった。
 自然に、彼はその女優と妻の静子を、頭の
中で競べていた。
「わかった。でも高いな」
 妻が小声で言った着物の値段は、実は聞き
洩らしていた。
 彼がその時頭の中で考えていたことは、そ
の女優と静子は形は違うけど、美貌の点では
甲乙つけ難い、と云うことだけだった。
 ただ機械的につぶやいた「高いな」だった
のである。
「アラ、高いだなんて。いや!」
 静子は少しふくれた。
 美人は得である。ふくれた顔もそれなりに
美しく、魅力があった。
 静子はそのまま、しばらく黙っている。
 縁の外の虫の音がまたしげく耳についた。
 勝造がちょっと気にして、目を妻の方へや
りかけた時、彼女の形の良い唇が動いて、全
く別の事を言った。
「幸代が嫁に行くので暇を取って、あとがそ
のままになっていたわね」
 勝造もその事は知っていた。
 幸代と云うのはこの邸にいた女中である。
 勝造の遠縁の親戚の紹介で三年ほど勤めた
あと、つい最近良縁を得て止めていった、こ
れと云って目立たない女だった。
「……………」
 勝造の目は、雑誌の陰で妻の次の言葉を待
った。
「代りの女中を入れないで、裏の離れに居る
あいつを代りに使ったらいいと思うのよ」
 幾分、気負い込んで夫にいどむように、一
気に妻は言った。
「……………」
 勝造はしばらく黙ってしまったが、今度は
さきほどより真剣な眼差だった。
 話は二年前にさかのぼる。
 静子がまだ、場末のさる小さなバ―のマダ
ムをしていた頃の話である。
 当時、すでに静子とできていた勝造が、あ
る夜、宴会の帰りにかなり酔った足取りで、
大学の一年先輩だと云う男と、ふらりと店に
現われた。
 その時の山崎清と云うのが、「裏の離れに
居るあいつ」だった。
学生時代、同じ山岳部で、勝造は岩場ですん
でに転落するところを、この山崎に助けられ
たと云う。……勝造の言では〔命の恩人〕と
のふれこみだった。
 その夜は雨まじりの風が吹き、珍しく店に
客が少なかった。
「あら、ようこそ。雨なのによくいらっして
下さったわね」
 ロングドレスを形良く着こなした、大輪の
ダリヤのような静子の微笑に迎えられ、店内
の落着いた照明の中に立った山崎の目は、一
瞬おびえて見えた。
 山崎の着ている背広は型も古く、全体にし
なっと着崩れし、袖が所々擦り切れている。
 穿いている靴も、ひと目で合成皮革とわか
る安物だった。
「どうした、先輩! 気に入ったかい」
「うーん。……なかなか良い店だな」
 少し口ごもりながら答える山崎は、とって
つけたような笑みを浮べた。
「なに言ってるんだ。ここのマダムさ。……
…美人だろう」
 熱いおしぼりを受け取って両手を拭きなが
ら、勝造は上機嫌に笑った。
 仕立の良い服がびったり身に付いている。
 英国製の光沢のあるカシミヤ入りの生地が
小ぶりのシャンデリアの光に映え、そばの山
崎のみすぼらしさと、際立った対照を見せて
いた。
「す、すばらしい人だ。……まったく!」
 声の調子が、周りが"おや"と思うほど、
急に勢いづいた。
「アラ、光栄だわ。さあ、おひとつ、お上り
になって」
 ボ―イの運んで来た水割りを勧めながら、
静子は山崎の顔にじっと視線を当てた。
 彼女に真っ直ぐ見詰められると、山崎はお
かしいくらい狼狽し、何やら意味の無いこと
をつぶやいた。
 耳のあたりに赤味がさしている。
「こちら、案外純情なのね。私、純情な人っ
て大好き!」
 そう言ったのは静子ではなく、山崎の隣り
に来たシナ服の女だった。
 愛想笑いを浮べながら、小ぶとりの身体を
じんわりと押し付けてくる。
 静子は勝造と並んで座っていた。
 ぴったりと密着した太腿の上で、二人の指
がからみ合い、時折、静子の首が勝造の肩に
しなだれかかる。
 その度に、向い側の山崎はピリッと電気に
感じたように反応を見せた。
 一種の嫉妬に似た感情の起伏が彼の顔に現
われるのを、静子は見逃さなかった。
 かなり遅くなったその夜の別れ際のドアの
外、
「近いうちに、必ず又いらっしてね」
 静子は感情を込めて言いながら、勝造と抱
き合った。
 そしてその傍で山崎が、友達の舐めている
飴を欲しがる子供さながらに、羨望に駈られ
ているのを目の隅で捉えると、勝造の身体を
離した後、
「あなたもよ。きっと、いらしてね」
 と、同じように山崎を抱擁したのである。
 それは勝造の時と異なり、明らかに気まぐ
れな彼女の形ばかりの"お恵み"だった。
 しかし、この一回の抱擁と〔きっと、いら
してね〕のひとことが、山崎の運命を根底か
ら変えることになった。
 一週間とたたない内に、山崎は今度は一人
で姿を現わした。
 意外な事に、彼の金遣いはかなり思い切っ
たものだった。
 勝造の話では、山崎は小さい頃両親を無く
した身寄の無い男で、その上、最近は勤め先
の会社が倒産したため、勝造の口利きでさる
中小企業に勤め始めた所だとの事だった。
 毎週のように姿を見せるようになって、三
ケ月ほど経った時の事である。
 山崎はいつもの消極的な態度ににげなく、
ある晩、思い詰めた表情で、静子を店の裏へ
連れ出して求婚した。
 彼が自分に熱を上げている事はわかってい
てもそう云った客の気持は、クラブのマダム
にとっては、商売をスム―スに進めるための
潤滑剤に過ぎない。
 しかし、真面目な結婚の申し込みとなると
話は別であった。
「そんなこと………」
 静子は真剣な山崎の目を見て息を飲んだ。
「いきなり言われたって、急にはお返事出来
ないわ」
 そして、その返事はとうとう無かった。
 結婚の申し込みに返事も貰えず、むろん女
もものにならず、やっと馴染み客の一人とし
て手を握ってもらえた程度で、或日、突然山
崎の身柄は逮捕された。
 勝造の紹介で勤め始めた先で、多額の金を
使い込んでいたのだった。
 結局、身元保証人の勝造の面子を潰したば
かりか、保釈金も、示談金も、弁護士の費用
もすべて勝造の世話になった。
 親がかりだった勝造も、その頃は父が死ん
で幾つもの会社と、大邸宅と、それに別荘ま
で合せてすっかり相続していた。
 勝造の立て替えた金は、将来山崎が収入の
途を得てから、分割払いで返済する約束だっ
たが、当面は勝造の庇護のもとで、学生時代
に果せなかった公認会計士の国家試験をめざ
して勉強を続けることになったのである。
 勝造と静子が、山崎の拘置所生活中に、正
式に結婚していた事実は、山崎にとって大き
なショックだったに違いない。
 恋いこがれている美しい静子が、勝造と日
夜甘い夫婦生活を営む同じ邸内で、山崎はこ
の一年半、あてがわれた離れで暮していた。
 あいにく昨年の国家試験には失敗し、今年
もう一度チャレンジする予定で、勉強が続い
ていた。
「あいつはいかん。………そのぅ………あれ
は、そう云う約束じゃない。それに女中は他
に三人もいるじゃないか」
 辛抱強く夫の答えを待っている妻への返事
には、歯切れの悪いとまどいが現れていた。
「いやっ!」
 静子は、聞き分けのない子供のように、頭
を振った。
 少しウェ―ブのかかった豊かな黒髪が美貌
の上で大きく揺れていた。
「いやよ。わたくし、この家でいつまでも居
候が、大きな顔をしてブラブラしているのが
我慢ならないの」
「……………」
「あいつはあなたの命の恩人だそうだけど、
あなたの顔に泥を塗った元犯罪者よ。………
これだけしてやったら、もうそろそろ、居候
から召使いに身分を落されても文句は言えな
い筈よ」
 静子は、山崎の身分を居候から、召使いに
落すとはっきり宣言しているのである。
 勝造は鼻白んで、しばらく黙ったままでい
た。
 静子が、気性の強い女であることは前から
わかっていた。
 勝造に対してこそ柔順に仕えていたが、そ
れでも、いったんこうと決めると、今夜のよ
うに自分の意志を通さないではおかぬ気の強
さを見せることがあった。
 なるほど静子の言うことも一理あると勝造
は思った。それに、閨房での御無沙汰が、こ
の場合の彼を、妻のヒスを恐れる気弱い夫に
していた。
「女中ひとりのお給金だって、ばかにならな
いわ。半年もたてば、私の訪問着が一着でき
るんですもの」
 夫が折れたことを知って、静子の声は明る
くなっていた。
「全く、こまかいね。女は」
 勝造は弱く笑って、ついで、やれやれと欠
伸をした。
「ところで君、お茶をくれよ」
 雑誌を畳に置いて、勝造は話を変えた。
「はい。いいわ」
 静子の白いしなやかな指が、即座に卓上ベ
ルに延びた。
 遠くでベルの響く気配があって間もなく、
廊下を足音が忍びやかに夫妻の居間に近ずい
て来た。
 人の気配が、ふすまの外の廊下にかがんだ
かと思うと、男の声で、
「奥様、御用でしょうか?」
 勝造が、オヤ、と言いたげに目を上げて、
ふすまの裾を見た。
 声に聞き覚えがあったのである。
 彼は妻に問いかけるような視線を向けた。
 静子が、ニッと美しくほほえんでみせた。
 明眸が、私に任せておいて、と夫に答えて
いた。そして彼女は、リンとした口調で、ふ
すまの裾へ声を投げた。
「山崎! おまえ、旦那様にお茶を差し上げ
て。それから私にも」
「はいっ。かしこまりました。ただ今」
 ふすまを隔てていても、深々と低頭してい
るのがわかる答えだった。
「驚いたなぁー」
 勝造がふうーっと息をつく。口を開いたの
は、廊下の足音が遠ざかってからだった。
「さっきのは、本当は事後承認だったの。…
…ごめんなさい」
 一応は詫びたが、言葉とは裏腹に、静子の
口調はいっこうに済まなそうではなかった。
 そして、その後、
「召使いは、なんと言っても、おしつけね。
おしつけが大切だわ」
 とつけ加えた。
      ………………
 話しは再び三ケ月前に逆のぼる。
 それは、山崎が会計士の国家試験に失敗し
た直後の事であった。
 離れの六畳間にごろりと寝転がって、ぼん
やり天井を見つめていた山崎は、静子の突然
の訪問に思わずはね起きた。
 夕方とは云え陽は未だ高く、枯山水の贅を
つくした中庭の緑が、柔かい春の日差にふっ
くらと包まれている。
 静子がこの離れを訪れるのは月に一回ある
かなしで、しかも夫の勝造に従って、申し訳
程度にチラッと顔を見せるに過ぎなかった。
 無論、一人での訪問は初めての事である。
「いいのよ。急にかしこまらなくっても」
 女は目で笑うと、座布団を勧める山崎を無
視するように縁側の藤椅子に腰を下ろした。
 そのまま、目を庭の木立に遊ばせ、煙草に
火を点けて、フ―ッと煙を吐く。
 静寂をもてあますように口を先に開いたの
は、山崎の方だった。
「静子さん………」
 お変りは、と言いかけて、山崎はそのまま
言葉を飲み込んだ。静子がそっぽを向いたま
ま、一向に彼の言葉に耳を貸すそぶりを見せ
ないこともあったが、縁先の藤棚を透して差
込む陽に映える女の横顔が、息を飲む程美し
かったためだった。
 しばらく静寂が戻る。
「山崎さん。先日の試験、残念でしたわね」
 今度は静子が、やや唐突に声をかけた。
「……………」
「主人が言ってましたけど、来年の試験まで
あと一年頑張るんですって?」
「ええ、今年はもう一歩だったんで、来年は
きっと………」
 静子は煙草を灰皿に突き立てるようにして
もみ消すと、スッと彼の方に向き直った。
 女の醒めた冷たい表情を見て、山崎の心に
チラッと不安の影がかすめる。
「それじゃ、あと一年ここに居るのね」
「ええ、高橋さんの言葉に甘えて、置いて頂
きます」
「私は困るわ!」
 オクタ―ブの上った張りのある声がきっぱ
りと宣言した。
「で、でも。……それじゃ、静子さんは……
私に出て行けと……」
「誰もそんなこと言ってないわ。この家で、
山崎さんがズルズルと居候をきめこむのが、
困るって言ってるのよ」
「……………」
 彼は女の真意を計りかねた。しかし今まで
の居候生活が、彼女の意志で終りを告げるか
も知れぬとの不安が、彼の顔を蒼白にした。
「あなたは、主人に大変な借金をしているの
よ。試験に受かれば返済能力も出来るかと、
今まで我慢していた私が馬鹿だったわ。……
あと一年待つなんて、とんでもない。今すぐ
この家の召使いとして働くか、それがいやな
ら、借金を全部払って出て行くかだわ」
 静子の美しい視線が、山崎の目をひたと見
据え、〔さあ、どうするの〕と問いかけてい
る。
 答えは明かだった。かなりの額になる勝造
の立替金を返済出来る目処など、当然のこと
ながら、どこにもなかったのである。
「で、でも、高橋さんが………」
 弱々しく抵抗する彼に、女は高圧的な調子
で覆いかぶせた。
「この家の家事は、私が任されているのよ。
主人が何を言ったって、私がウンと言わなけ
れば、あなたはこの家で生活出来ないわ。…
……その位の事はわかるわね」
「……………」
「じゃあ、承知ね。今日から私の召使いとし
て働くわね」
 がっくり首を前に垂れて頷く彼を、じーっ
と見下ろして、静子は獲物を手に入れた猫の
ように目を細めた。
「心配しなくても良いのよ。召使いの仕事は
別に難かしい事ないわ。女中頭の澄江に言っ
ておくから、十分仕込んで貰いなさい」
「……………」
「でもね、召使いとしての"おしつけ"は私
がしてあげる。……いいこと、山崎さんはも
うたった今から、私とは対等じゃないのよ。
召使いとして私より一段、いいえ二段も三段
も下のレベルの人間に成り下がるの。……そ
れも見せかけだけじゃダメ。心の底から私の
ことを遥か上に仰ぎ見て、それが自然に態度
ににじみ出るように、私の手でしつけて上げ
るわ。フフフ、覚悟なさい」
 他人の妻とは云え、こともあろうに恋いこ
がれ続けている女性の手で召使いに落され、
しつけられる……その、おぞましい現実は、
身を切るようなみじめさ、情けなさを山崎の
心に泌み渡らせた。
 そんな感傷にふける間もなく、藤椅子に座
ったまま静子は山崎を目の前に正座させた。
「最初に言葉使いね。……私のことは奥様、
主人のことは旦那様と呼ぶこと。お前のこと
は山崎って呼び捨てにするわ」
「……………」
 私の命令には絶対服従よ。もたもたしない
こと、それに口答えは絶対許しません。私の
言い付けに背いたり、私の機嫌を損じたらお
仕置してあげる。……いいわね……ホラ、返
事がないと、これよ」
 ひらりと女の白い手が舞い、山崎の頬がピ
シッと鳴った。
「ハ、ハイ」
 慌てて答える彼のさまがおかしかったと見
え、静子はクスリと笑う。
 頬の痛みがほてりに変り、涙腺が刺激され
てジ―ンと熱いものが目蓋を濡らした。
「いいこと。お前の心を召使いにふさわしい
卑しいものに改造するのは容易ではないわ。
それには精神の手術が必要なの。……それを
私がやって上げるんだから、何をされても驚
いちゃ駄目よ」
 自信に溢れた静子の態度には、或種の威厳
のようなものさえ備わって、最早、山崎の知
っている昔のバ―のマダムの面影は偲ぶべく
もなかった。
 黙って頷く彼の目の前で、彼女の足先のス
リッパがコトリと床に落ち、形良く伸びた女
の右の素足が、彼の顔に触れんばかりの近さ
にスッと差し出された。
 スリッパの中で微かに汗ばんだ足指から、
むれた臭いがプ―ンと山崎の鼻を突く。
 赤いマニュキュアをした足指が、彼の顔を
撫でるばかりの至近距離で反転し、薄鼠色に
汚れた女の足の裏が、山崎の視野一面に拡が
った。
「お舐め! お前の舌で、私の足の裏を清め
るのよ」
 否応言わせぬ高圧的な声の調子に、彼の背
筋にゾクッと冷たいものが走った。
「どうしたの。もたもたしないように言った
でしょう。ホラ!」
 静子の足の裏が、ぺたりと山崎の顔面を捉
え、彼の唇をにじる。
 不潔感をこらえて伸ばした舌の先を押返す
ように、女のかかとがぐっと迫って彼の口を
いっぱいにした。
「ホホホ、どうなの? どんな味? おいし
い?」
 足の裏を這い廻る山崎の舌に、征服された
男の屈従を感じ取った静子の勝誇った声。 
 途端に、激しい屈辱感がぐっと山崎の脳裏
に込み上げて来る。
 塩味の効いた苦味が、湧き出た唾にまぶさ
れて口中一杯に拡がり、思わずごくりと飲み
込むと、彼の咽喉へ、そして胃の中へとその
屈辱の味が刻み込まれて行った。
 いくぶん邪険な仕方で、唇の上の足が替え
られた。
 今度は汗ばんだ足指が、もろに彼の唇の間
に入った。
 そして、ぐいぐいと無遠慮に動く。
「指の間に舌の先を入れるのよ。……そうよ
……よくおしゃぶり! 今度は、そのままで
強く吸って御覧。……フフフッ、まあまあ、
大の男が女の足を舐めさせられて……さぞか
し悔しいことだろうね」
 チュ―チュ―と足指を吸う派手な音。
 そして、それにダブって静子の辱めの言葉
が追打ちをかけた。
 それから、どの位たったであろうか。
 彼の唇がヒリヒリし出し、舌の付根が痛く
なるまでのかなりの長い時間、静子は山崎に
舌を休める事を許さなかった。
「もういいわ、よく舐めたわね。……アラッ
、お前、泣いてるの? フフフ、だらしない
わね。……じゃあ、次の"おしつけ"をして
上げる。そこへ、仰向けに寝るのよ」
 静子は、立ち上がって壁際のテレビのスイ
ッチを入れると、画面に目を据えたまま、畳
の上に横たわった山崎の顔の上に跨がり、無
造作に腰を下ろした。
「ああうっ」
 不意を突かれた山崎が、女の尻の下で思わ
ず呻き声を上げる。
 柔かなパンティ―越しに、ぽってりした弾
力のある尻の肉が両頬にぴったり密着し、そ
の割目に挟まれた鼻孔には饐えた異臭が遠慮
なく侵入してきた。
「お前には、これがふさわしいのよ。私のお
尻の臭いをたっぷり嗅いで、自分の新しい身
分を頭に刻み込みなさい。……ホ―レ、ホラ
ホラ」
 静子が山崎の顔の上で腰を前後左右に振る
と、彼の頭は女の尻の動きにつれて、ぐらぐ
ら揺れる。
 恋する女に征服され、徹底的に卑められる
ことの情けなさと恥ずかしさ、それは彼の心
を蝕み、彼女の思惑通り、二度と越えられぬ
身分の差、と云うより心の隔たりを作ってい
ったのである。
 煙草の煙を輪に吹きながら、静子はテレビ
の連続ドラマに見入っていた。
 時々、自分の尻の下に敷いた男の顔を思い
出しては、腰を揺する。
 山崎のくぐもった呻き声と熱い呼吸を尻割
れに感じ取って、クスリと満足の笑いを洩ら
した。
 そして、この"おしつけ"は翌日から場所
を静子の居間に移して、毎日の日課として続
けられたのである。
 しかも、静子は女中たちの目を一向に気に
しない、と云うより、むしろ部屋に出入する
女中たちに山崎の屈従の姿を見せ付けるよう
にして、彼に足舐めを強い、彼の顔を尻に敷
いた。
 初めは仰天して顔を赤らめたり、そそくさ
と部屋を立ち去ったりしていた女中たちも、
時が経つにつれ慣れっこになり、静子が三面
鏡の前で、スツ―ルの上に頭を乗せた山崎の
顔を尻に敷いて朝の化粧をしている間、すぐ
そばで平気で部屋の片付けをするようになっ
た。
 三人の女中のうち、一番年嵩が女中頭の澄
江で三十五才の子供の無い未亡人。
 骨太の体格に近頃とみに肉がついて太り気
味なのを気にしている。
 あとの二人は共に二十二才で、田舎の中学
を出て直ぐにこの高橋家へ奉公に来ていた。
 背の高い色白のグラマ―な方が春子、小柄
だがウエストの締ったスタイルの良いのが君
子である。
 山崎が召使いに落された最初の日に、例の
"おしつけ"の後で静子に連れられて女中部
屋へ挨拶に行った時の事である。
 たまたま、顔を揃えていた三人の女中の前
に正座させられた山崎は、静子に頭からきめ
つけられたのである。
「いいこと。お前にとっては、この三人は先
輩なんだよ。色々と教えて貰うんだから、ち
ゃんと、さん付けで呼んで敬語を使うのよ。
………ホレ、ぼやぼやせずに、お前の方から
挨拶しないか!」
 慌てて女中たちの前に平蜘のように平服す
る山崎の不格好な姿に、三人からクスクスと
笑いが洩れた。
 それでも女中たちにとってみれば、昨日ま
で主人夫婦の客分として扱っていた山崎を、
いくら女主人に言われたからといって、いき
なり後輩扱いも出来ず、遠慮勝ちな態度にな
らざるをえなかった。
 しかし、それ以来、毎日の静子の"おしつ
け"を目のあたりにしている内に、自然、山
崎に対する女中たちの態度も、軽蔑を露わに
したものになり、使用人に落された彼を同輩
としてよりも、一段、目下の者として扱うよ
うになった。
 もっとも、それが静子の狙いだったのかも
知れない。
 さらに、離れの間に代って、彼に与えられ
た寝場所と云うのが、召使い用のトイレの中
の一角だったから、女中たちの山崎に対する
軽蔑はいっそうその度合を増した。
 幸い、床はタイルではなく、昔ながらの板
張りだったが、汲み取り式の溜め桶からは、
隙間風に乗って悪臭が鼻を突いた。
 それに、掃除道具の置かれた狭いスペ―ス
に布団を敷くと、丁度、彼の頭が通路に突き
出した格好になった。
「ここが、お前の寝室よ。毎晩、女中たちが
お前の顔を跨いで用を足しに行くわ。フフフ
………それに、この匂い! お前の身分にふ
さわしい寝場所ね」
 静子の意地悪い言葉が、彼の心の傷をさら
に拡げる。
 こうして、静子の"おしつけ"を三ケ月近
く受けた後で、やや偶然に似た機会ではあっ
たが、漸く勝造の〔認知〕を受ける運びとな
った。
 従って、あの、山崎の女主人に対するうや
うやしい態度は、決して昨日今日の付焼刃で
はなかったのである。
      ………………
 近隣の人々は高橋邸を古風に「お屋敷」と
呼んだ。広壮な敷地を囲む石垣と、時代がか
った黒塀は、ここが元旗本の下屋敷だった頃
の名残を留めている。
 庭は広く、樹木が多い。だから、掃除だけ
でも大仕事である。
 静子の命令で、早朝の庭掃除は山崎の仕事
と決められていた。
 主人夫妻が、未だ暖かいダブルベッドの中
で眠っている時刻に、夫婦の寝室の窓の外を
掃いた。
 庭中の掃除を終る頃には、女中たちも朝食
を終えている。その残飯が、以前犬を飼って
いた時に使った容器に盛られて、台所の土間
に置かれていた。
 それを、手を使わずに四つん這いで食べる
のが、静子に新たに命じられた"おしつけ"
だった。さすがに勝造は眉をひそめ、行き過
ぎだと咎めたが、静子は受け付けない。
 山崎の新しい身分を身に泌みて覚え込ませ
るには、彼から男としての誇りを奪い去り、
身も心も汚辱にまみれさせ、卑しめるのが早
道と云うのが彼女の主張であった。
 家内のもめ事を好まない勝造が、案外あっ
さりと引き下がったのも、静子の計算に入っ
ていた。
「浅ましい限りね。こいつ、奥様に毎日卑し
められて、とうとう、ここまで落ちたのね」
「まあ、いやだ。ぴちゃぴちゃ音を立てて、
本当にいやしいこと! まるで犬そっくりじ
ゃない」
「女になぶられる男って、よほどの意気地無
しね。情けないやつだこと」
 台所の土間に這いつくばって、容器に顔を
突っ込み残飯にかぶりついている山崎の頭の
上から、三人の女中たちの声が降って来た。
 さすがに情けなさで咽喉が詰まる思いであ
る。ポタリと悔し涙が残飯の上に落ちた。
 しかし、顔を上げて女たちをにらみ付ける
勇気も無く、やけ気味に空になりかけた容器
の底に舌を這わせた。
 昼は静子の食べ残しを、そして晩は夫婦の
残飯を、台所の隅で、やはり這いつくばって
食べさせられた。
 不思議なもので、それが彼の毎日の日課と
なると、女中たちの軽蔑の視線も次第に気に
ならなくなり、音を立てて残り汁をすするの
も、浅ましいと思わなくなった。
 山崎の家の中での仕事は、便所掃除以外は
これと云って割当られたものは無かったが、
女中たちは自分の担当であっても、骨の折れ
ることや、いやな仕事は、次第に山崎に押し
付けるようになった。
 洗濯の係りの春子は、主人夫婦の下穿きの
もみ洗いを山崎に押しつけた。
「洗濯機に入れる前に、汚れた所を手でもん
で奇麗にするのよ。……そうそう、その調子
よ。ついでに私たちのパンテイ―もお願いね
。……アラ、変な顔して。この臭い、お馴染
みでしょう? フフフ、毎日、奥様のお尻に
顔を敷かれてるくせに。……ホレ、私のを嗅
がして上げる!」
 不意に、ピンクの柔かい布地が、春子の手
で山崎の鼻に押し付けられた。
 異臭がツ―ンと鼻孔を突き、若い女の性臭
に思わず頭がクラクラする。
 一瞬、呆然として春子の手を払い退けるの
が遅れたことが、彼女の嘲笑を呼んだ。
「ヘ―ッ、お前本当に変態なんだね。うっと
りなんかしちゃってさ。ホラ、ここに皆の分
があるから、たっぷりお嗅ぎ! フフフ、何
なら、舐めたっていいんだよ」
 春子がクスクス笑いながら立ち去った後、
彼の目の前には、レ―スの縁取りの付いた高
価そうな静子のパンテイと勝造のブリ―フ、
それに女中たちのカラフルなパンテイ―まで
が残されていた。
 君子が山崎に押し付けたのは、主人夫婦の
靴磨きだった。
 広い玄関の壁側に造り付けの靴箱には、勝
造の紳士靴に加えて、おびただしい数のハイ
ヒ―ルやブ―ツが並んでいる。
 小さな靴屋なら、一軒、開業出来そうな数
であった。
 それ等が何時でも使えるように、磨き込ん
でおくのが山崎の仕事となった。
 女中頭の澄江は、静子から山崎の教育を任
されている立場を利用して、彼を文字通り顎
でこき使った。
 山崎は、毎日、邸内の廊下の拭き掃除から
便所の清掃まで、澄江の口やかましい差図に
追い回されながら勤めた挙句、彼女の足腰ま
でもまされたのである。
 朝、勝造を送り出した後、寝室の隣りのサ
ンル―ムで、ソファ―に身を委ねながら新聞
に目を通すのが、静子の日課である。
 山崎はその足元で、四つん這いにさせられ
女主人の足裏を念入りに舐めさせられるのだ
った。
 続いて静子の入念な朝の化粧が始まる。
 三面鏡の前のクッションの効いたスツ―ル
の上に、後方から山崎が頭を差し延べる。
 その顔の上に、静子は無造作に豊満な尻を
載せた。
〔当分の間〕の筈だったこの一連の"おしつ
け"は、静子の意志で無期限に続けられる事
になっていたのである。
 その効果を完全に定着させるため、と云う
のが理由だったが、山崎の足舐めの間、彼女
がうっとりと目を細めて、満足気な表情を浮
べている所を見ると、静子の足の裏は彼女に
とって一種の性感帯なのかも知れない。
 スツ―ルの上での顔面騎乗も、尻割れに男
の熱い吐息を感じ取って、彼女自身まんざら
でもない気分に浸っているようだった。
 ただ、座り心地を良くするために、男の頭
がすっぽりと埋まるほどクッションを柔かく
した特別製のスツ―ルを使用していた。
 ともあれ、それは二人がそれぞれ、お互い
の身分の違いに対する意識を決定的にすると
同時に、静子の優越感を高め、山崎の女主人
に対する屈服を駄目押しする為の一種のセレ
モニ―にほかならなかった。
 万事大まかで、こだわらない性格の勝造に
較べて、静子はバ―のマダム時代から、従業
員には事のほか口うるさい女主人で通ってい
た。
 目上や、自分たち夫婦のことには極端に寛
大なくせに、目下、とくに召使いに対しては
厳格、秋霜のごとくであった。
 もともと奇麗好きの静子は、邸内の掃除に
ついては特にやかましかった。
 障子の桟や棚の上が、少しでもほこりっぽ
かったり、庭に紙屑でも落ちていたりすると
大変である。
 たちまち柳眉が逆立ち、召使いたちの上に
叱責が雷になって落ちた。
 この場合、静子の雷が落ちるのは、なんと
いっても、山崎の頭上であることが断然多か
った。
 不機嫌の時、彼女の前身が現れるのであろ
うか、時によると、彼女の叱責には、大家の
令婦人としてはいささかどうかとおもわれる
用語が、混ることもあった。
 山崎は、叱責の間中、頭上に落下する静子
の罵倒を、廊下板に手をついてじっと聞いて
いた。ジャンパ―の背を震わせていることも
しばしばだった。
 あまりたびたび、山崎が静子に叱られてい
ると、やがて習い性となった。
 山崎は〔うすのろ〕だと云う評が、次第に
三人の女中たちの間に定着して行った。
 その後も依然として続けられている、静子
の"おしつけ"、そして四つん這いで残飯に
顔を突っ込む犬さながらの姿を毎日見付けて
いる内に、女中たちは山崎を完全に「ばか」
扱いするようになった。
 ある日の午後、黒のス―ツを身に着け、外
出の為玄関へ下り立った静子の足が、敷台の
上でピタリと釘付けになった。
 送りに出てきたのは、春子と君子の二人で
ある。
 静子の抜けるように白い足は、薄茶色のス
トッキングにぴっちり包まれ、その薄いナイ
ロン地の下から、足指の爪に入念に施した赤
いマニキュアが、透けて見えていた。
 彼女の足の斜め下のタイル上には、外出用
のハイヒ―ルがそろえてある。黒のスエ―ド
の先の尖ったドレッシ―な感じの靴だった。
 彼女の撫で肩が、心持ち吊り上っている。
 視線はピタリと、目の下のハイヒ―ルに止
まって動かなかった。
 女中二人は、なにげなく女主人を視線を辿
って、ハイヒ―ルに目を止めた。
 同時に二人共、言い合せたように、ハッと
息を飲んでしまった。
 靴の手入れがしてないのである。
 この前の外出の時に着いた汚れが、はっき
りとスエ―ド地のつま先に、そしてかかとに
残っているではないか。
 重い沈黙が、一瞬、玄関の空間に澱んだ。
 突然、君子が叫んだ。
「あら、この靴のお手入れは、山崎の受持だ
わ。ホラ、この前、皆でお仕事の受持を決め
たじゃないの」
 傍らの春子に向かっての言葉は、そのまま
女主人への申し開きを意図していた。
「そうだったわ。あのばかのせいよ」
 手を打たんばかりに春子が応じた。
「やっぱり山崎だったの。すぐ、ここへ呼ん
でおいで」
 バラのつぼみのような静子の唇から、吐き
捨てるような調子で、言葉がもれた。
 彼女の明眸は怒りで、青味を帯びて光って
いる。
「は、はい。ただ今、直ぐに」
 春子が、しかられたのは自分であるかのよ
うに恐縮して、廊下を走って行った。
「おタバコ!」
 静子が残った君子に、不機嫌な声を投げか
けた。
 玄関に白い煙が漂い始めて間もなく、二人
の足音が、あたふたと駈け付けて来た。
「奥様、何か?」
 走り着くなり、額に汗を浮べた山崎が胸を
大きく波打たせ、あえぎながら言った。
 静子は、黙ってにらんでいるだけである。
 山崎のおびえた目が、タイルの上のハイヒ
―ルに行った。
 瞬間、彼の顔が硬直した。青白い顔がさら
にまっさおになる。
「お靴よ!」
 君子が、どやし付けるように声を投げた。
 山崎は肩で息をしながら、チラッと静子の
方へ視線を走らせたが、彼女の咎めるような
険しい眼差しに出合うや、今度は顔を赤く紅
潮させた。
「た、只今、す、直ぐにお手入れ致します」
 土足のまま、タイルの上に飛び下りた山崎
は、何を血迷ったか、靴ブラシで手入れすべ
きスエ―ドの表面に、アッと言う間もなく、
靴戸棚から取り出した黒の靴クリ―ムを塗り
たくってしまったのである。
「アアッ!」
 春子と君子の二人が、異口同音に悲鳴に似
た叫びを上げた。
 瞬間、自分のミスを悟った山崎は、慌てて
布でクリ―ムを拭い取ろうと試みたが、逆に
それをスエ―ド地に擦り込む結果となってし
まった。バックスキン調の上品なハイヒ―ル
の表面は、忽ち、安っぽいテカテカした光を
帯びた。
 山崎は、何を思ったか、あたふたと靴戸棚
にとって返し、よく手入れの出来ている黒エ
ナメルのハイヒ―ルを、一足取り出し、震え
る手で静子の前に揃えた。
 今日の静子の黒のス―ツに合わせたつもり
だったが、ニットの布地には艶消のスエ―ド
靴と決めている静子には、さしでがましい行
為としか写らない。
 彼女の足は目の前に揃えられた靴を前に一
向に動かなかった。
 山崎は土足のまま、タイルにじかに膝を着
いて、靴を片方、彼女の前にささげた。
 静子は何も言わず、じっと美しい目で彼を
にらんだまま煙草を吸っている。
 高価な化粧の香いが、煙草の煙に混って山
崎の鼻の前に漂っていた。
「これは一体、何のつもりなの!」
 怒気を含んだ静子の声が、鋭く静寂を切り
裂いた。
 白い手が、捧げられている靴を、ぐいとひ
ったくった。
 一同がハッとした次の瞬間である。
 静子の右手のハイヒ―ルが、空間に黒い稲
妻となって走った。
 バシッ!
 ハイヒ―ルは、まるで生物のようにうなり
を立てて山崎の頬に噛みついた。
「ぐあっ」
 固い大きなものを、いきなりほおばらされ
たような呻き声と共に、彼は後ろへ大きくの
けぞった。
 タイルに片手を着き、辛うじて転倒するの
をこらえて、やっとの思いでまた顔を正面に
戻した。
 空で反転したハイヒ―ルが反対側から襲っ
て来るのと、彼の顔が戻るのとが、全く同時
だった。
 バシッともうひとつの頬が鳴った。今度は
たまらず、山崎は顔を仰向けに泳がせて、ど
しんとタイルに尻もちをついてしまった。
 静子の美貌が化粧の下で紅潮し、ス―ツの
肩が波打っていた。
 その彼女の足の前で、彼はタイルの上にひ
れ伏していた。
「申し訳……ございません。奥様、私が……
悪うございました」
 苦しそうな声が、切れ切れに詫びた。
 あまり見よい格好ではなかったが、静子に
初めてなぐられたショックが、彼に二人の女
中の目を忘れさせていた。
 静子の答えは無かった。只、彼女の足が、
平伏している山崎の後頭部にかかり、そのま
ま無慈悲にぐいとばかり踏み付けた。
 彼の顔は静子の足の下で、土間のタイルに
べたりと押し付けられる。
 そのまま体重を足に掛けて二、三度踏みに
じると、たまらず彼の口からくぐもった呻き
声が洩れた。
 と、静子は、プイと身体の向きを変えると
スリッパをばたつかせて奥へ戻って行く。 
 慌てて、二人の女中が後を追った。
 漸く顔を上げた山崎は、ふと、口の中のね
ばりに気づいた。
 それを地面に吐くと、唾が、びっくりする
ほど真っ赤に色ずいていた。
 昼間の玄関の一件は、しかし、それきりで
は済まなかった。
 その夜、山崎は静子に呼び付けられた。
 勝造は宴会で遅くなるとの連絡で、夕食は
静子ひとりだったのも、彼女の機嫌を斜めに
していた。
 昼間の不始末の罰に、今夜は夕食の残飯も
与えられなかったので、ソファ―にくつろい
だ静子の前に正座させられた山崎の腹が、思
わず、グゥ―、と音を立てた。
「お前、今日のざまは何? おかげで私は買
物に行き損なったのよ。……それに、私のお
気に入りの靴は台なしになったわ」
「……………」
「お前がこれから二度とへまをしないように
、今夜はお前の身体に、たっぷり言い聞かせ
て上げる。………いいわね。私の"おしおき
"を神妙に受けるのよ」
 静子の宣言に、山崎は思わず身体を固くし
た。
 反抗が許されない事は、充分過ぎるほどよ
くわかってはいたが、これ以上静子のいたぶ
りに耐えられるか自信がなかったのである。
 静子は赤い部屋着をはおっただけで、革張
りのソファ―に身を委ね、形よく足を組んで
いる。部屋着の裾が白い太腿の上にめくれ、
まばゆいような曲線美が、伏せた山崎の額の
前面にクロ―ズアップされていた。
 静子は勝造の浴衣の帯を取り出すと、その
一端を床に正座している山崎の首に巻き、他
端を手に握ってピンと引いた。
「いいこと、目をつぶるのよ。………フフフ
お前、震えてるのね」
 何をされるのか想像もつかなかったが、静
子の意味ありげな仕草につれて、山崎の背筋
にゾクッとするものが走った。
「いくわよ!」
 静子の声と共に、山崎の顔面を痛撃が襲っ
た。彼女が、目の前に正座している山崎の顔
を、足の裏で蹴りつけたのである。
「うわっ」
 叫び声と共に、彼の身体はグラッと後方へ
傾いたが、首に巻かれた帯の端を静子がぐい
と引くと、再び元の位置に戻る。そこを又、
彼女のもう一方の足の裏が襲った。
 ゆっくりしたピッチだったが、静子は山崎
の顔面を、両足を交互に使って蹴り続けた。
 鼻血を恐れてか、彼女の足裏はもっぱら彼
の両頬に集中する。それは明らかに昼間のハ
イヒ―ルでのピンタの続きだった。
 しばらくすると、彼女は足を休め、一服す
る。
 顔を真っ赤に染め、息をはずませている山
崎を見下ろしながら、白い煙を吐いた。
「どお? 少しはこたえたかい。でも、これ
からが本番だよ」
「奥様、どうか……どうか、許して」
「許さないわ。もっと痛めつけて上げる。…
…でも、お前も、女の私に顔を蹴られて、ど
んな気持? 悔しい?……そう悔しいのね。
でも、それは、お前が未だ心の何処かで自分
を私と対等に見ているからよ。その内、私の
"おしおき"を名誉な事と思うように仕込ん
で上げる。……さあ、又始めるわよ」
 鈍い音を立てて静子の足蹴が、再び山崎の
顔面にさく裂し始めた。そしてそれは、いつ
果てるともなく、続くのだった。
      ………………
「ねえ、ふとんにもぐってると、身体に悪い
わよ。………ホラ、どうしたのよ」
 澄江だった。日が高くなっても、従業員用
のトイレの中で布団にくるまっているのだか
ら、女中たちも気になった。
 用をたしたあと、澄江は手を拭きながら、
足元の布団の中に素足を差し入れ、山崎の頭
を軽くこずく。
 もぞもぞと布団が揺れ彼の顔が現われた。
「まあ、随分ひどくやられたのね」
 想像してはいたものの、澄江は思わず息を
飲んだ。両頬から唇、そして下顎にかけて、
暗紫色に変色し一面に腫れ上っている。
「奥様も女のくせに、ひどいことするねえ」
 澄江は、甲斐甲斐しく濡れタオルを絞って
山崎の顔に当ててやった。
「でも、お前も男のくせに、大切な顔をこん
なになるまで、女に足蹴にされて我慢してい
たなんて、よっぽど意気地がないんだね」
 山崎は黙っていたが、自分の静子へのひた
むきな恋心が、こうした仕打で下火になるど
ころか、かえってつのる一方なのが、我なが
ら不思議でたまらなかった。
 一日寝込んだだけで、山崎は再び平常の仕
事に戻った。頬には青いあざが残り、腫れも
未だ完全にひいてはいなかったが、静子は容
赦せずピシピシ命令を与え、小言を浴せた。
「馬鹿」「どじ」「間抜け」と云った罵倒も
以前に増して頻繁だった。
 邸内の夜闇に、梅がほの白く薫るころであ
る。勝造の帰宅が遅れ、夫婦の夕食が終った
のは九時を回っていた。
 いつものように、台所の隅で、四つ這いに
なって夫婦の残飯に首を突っ込んでいた山崎
は、尻を蹴られて振り返った。
 女中の君子が立っていた。
「お前、何時からつんぼになったの? がつ
がつしちゃって本当に浅ましいったらありゃ
しない………奥様がお呼びよ。すぐ、寝室に
来なさいって」
 母屋は暗かったが、二階へ上ると夫妻の居
間の廊下に面した窓に灯がもれていた。
 寝室へ通ずるドアの前に来て、山崎はしば
らくちゅうちょしたが、やがて、ドアを低く
ノックした。
「あいてるわ。お入りなさい」
 寝室の奥で静子の声がした。
「はい」
 おずおずと入った山崎は、華やかな色彩に
彩られた内装に目を奪われた。
 派手なえんじを基調にしたインテリアは、
静子の趣味に違いなかったが、どことなくナ
イトクラブ風でもあった。
 ふかふかしたじゅうたんを敷きつめた広い
室内の中央に、キングサイズのダブルベッド
がそして窓際にはソァ―のセットが置かれて
いる。正面の半ば開かれた扉の奥に、タイル
張りの洗面所と浴室が見え、浴槽に湯を張る
音が聞こえていた。
 二人はガウン風の部屋着に着替え、ソァ―
に並んで腰掛けている。勝造に肩を抱かれた
静子が目の前の床を顎で指した。
 二人の前の床に正座した山崎に、静子は煙
草の煙をフ―ッと吐きかける。
「お前、この頃、漸くお仕事にも慣れて来た
ようね。時々へまをするけどさ」
「……………」
「そこで、主人とも相談したんだけど、今夜
から新しいお仕事を与えて上げるわ。とって
もプライベ―トなお仕事よ。フフフ」
 淡い照明の中で浮び上った静子の顔は、美
しい笑みをたたえている。
「そこのお風呂場で顔を洗って、うがいをし
てらっしゃい。そしてブリ―フ一枚の裸にな
るのよ。………あ、それから、湯槽が一杯に
なったら、お湯を止めて」
 命じられた通りにして、寝室に戻った山崎
は、戸口で棒を飲んだように立ちすくんだ。
 勝造と静子の夫妻が、ベッドの上で全裸で
抱き合っている。
「何してるの。早くここえ来るのよ」
 気配で察した静子が、首をねじって声を掛
けた。
「そうよ、ベッドの上へあがって………そこ
で、私のお尻に顔を当てるの………バカ、臭
いを嗅ぐんじゃないの。私のアヌスを舐める
のよ。そうよ、舌だけじゃなくて唇も使うの
よ」
 朝から下痢気味の静子のその部分は、べっ
たりと汚れが付着している。
 山崎は、不潔感を懸命にこらえて舌を伸ば
し、周囲の汚れを唇で吸い取り、その下の粘
膜を舐め続けた。
 彼が命じた通りに従うのを確認すると、静
子は、再び勝造とのペッティングにふける。
 勝造の怒張が静子の跨間から覗き、静子の
尻割れにピッタリ顔面を当てている山崎の顎
のあたりに触れた。
「よく仕込んだもんだな。毎日、こいつの顔
を尻に敷いてるそうじゃないか」
「ウフフ、何時もは臭いだけ。……舐めさす
のは今が初めてよ」
「しかし、哀れな奴だな。好きな女に毎日な
ぶられて、果てはセックスにまで奉仕させら
れるんだからな」
「アラ、こいつを私たちのセックスの道具に
しようと言い出したのは貴方じゃないの」
「そりゃ、君を満足させるためさ。俺も勤め
があるので、君に最後まで付き合うわけにい
かんからな」
「いいわ、許してあげる。その代り、こいつ
を私の思うように仕込むから、協力してね。
……コレ、山崎! 舌を休めちゃダメよ。聞
こえたら返事おし」
 静子の跨間から、男の力のないくぐもった
声の返事が返って来た。
 そのうち、勝造の吐息が次第に荒くなり、
夫の愛撫に答えて静子もあえぎ声を立て始め
る。静子の豊満な尻が、山崎の顔の上でもだ
え始めた。
「オイ、そこをどけ。横手から家内のケツの
下へ首を入れるんだ。………そうだ、そのま
ま舐め続けるんだぞ」
 仰向けになった静子の尻の下には、横から
T字形に首を指し入れた山崎の顔面が、しっ
かりと捉えられている。
 勝造が静子の跨間を開かせて、挿入しなが
ら女の身体に上からのしかかった。
 静子のアヌスを吸い続ける山崎の頬に、勝
造の緩やかなピストン運動に合わせて、その
隠嚢がピタピタと当たる。
「オイ、今度は結合部を舐めろ。そうだ、そ
の調子だ」
 やがて、勝造の腰の動きが激しくなり、静
子の口から短い叫び声が洩れ、ベッドのきし
み音が、リズミカルに続いた。
「あなた、未だよ。未だ行っちゃいやよ……
…ア―、だめねえ」
 静子の嘆声と共に、勝造の動きが止まり、
結合部に短いけいれんが繰返される。
 同時に、プ―ンと栗の花の匂いが山崎の鼻
を突いた。
 勝造はゆっくり身体を起すと、腰を引いて
結合を解く。
 同時に膣からおびただしい量のザ―メンが
尻割れを伝って流れ出した。
「こぼさないように、吸うのよ」
 静子の声にハッと我に返って、山崎は唇を
流れに当てて懸命に吸った。
 ズズ―ッと派手な音がして、彼の口は生臭
い液で満たされる。
 ごくりと咽喉が鳴った。
「オイ、おれのも吸うんだ」
 山崎の口に勝造の怒張が当てがわれる。
 女の跨間に頭を挟まれながら、その先端を
吸う山崎の顔を、勝造の目が上からじっと見
下ろしていた。
 昔の友人を見る目では、むろんなかった。
 それは、自分の妻に卑しめられ、遂に二人
のセックスの道具になり下った男を見る軽蔑
の眼差だった。
「どお? おいしい? 主人のが済んだら、
私のを清めるのよ。………フフフ、これこそ
お前の身分にふさわしいお勤めだわ」
 静子は手を伸ばして、勝造から開放された
山崎の髪を鷲掴みにし、彼の頭をしっかりと
跨間に挟み込んだ。
 生臭いミックスジュ―スは、いくら吸って
も際限無く湧きだしてくるように思えたが、
それが漸く底をついて来ても、静子は彼の首
を跨間から離さない。
「私は未だ満足してないのよ。お前の舌と唇
で、私のセックスに奉仕しなさい。私がもう
いいと言うまで、心を込めて続けるのよ。…
…そう、お前は私のセックス奴隷。私に雲の
上に遊ぶ夢を見せなさい」
 遠くで勝造が湯を浴びる音がする。しかし
それも、気分の出てきた静子の両腿に耳を挟
まれると、静寂の世界に閉じ込められた。
 無心に舌を、そして唇を女の秘肉に這わせ
る内に、彼の脳裏から一切の雑念がうすれ、
ただひたすら奉仕に活きる奴隷としての自覚
が、焼き付けられて行った。
 翌日は流石に山崎も寝不足で、頭が重かっ
た。彼が静子から開放されたのは、午前零時
を回っていたから、正味二時間は奉仕を強制
されていた事になる。
 唇にしびれが残り、舌の付根は腫れ上がっ
ていた。
 それに奇妙な事に、朝から下痢に襲われ、
午後になってもすっきりしない。食欲ももう
ひとつだった。
 受持の便所掃除を終えて、台所の床を拭い
ていると、澄江に呼ばれた。
 女中部屋の畳の上にうつ向けに寝そべった
澄江の足をマッサ―ジしろと言うのである。
 逆らうことも出来ず、しぶしぶ言われるま
まに、彼女の太いふくらはぎをもみ始めた。
 女中たちはこの時間になると、仕事が一段
落するので女中部屋でひと休みしておしゃべ
りするのが常である。
 君子が、そして春子も姿を見せ、話しがは
ずむ。そのうち、黙々として澄江の足をもむ
山崎が、彼女等の会話のさかなになった。
「ねえ、お前、昨晩お二人の寝室で何をさせ
られたの? 随分長い間、出て来なかったわ
ね」
 君子が、好奇心をむきだしにして問いかけ
る。
 答えをしぶる山崎も、春子、それに澄江ま
で加わって執ように問い詰められるうちに、
ポツリポツリ、昨夜の屈辱的な奉仕の有様を
断片的ではあったが口にさせられていた。
「へえー、奥様のアヌスを舐めさせられたん
だって? それも、お風呂の前にね」
 君子が呆れ顔で口を開くと、春子が顔をし
かめて続けた。
「不潔だわー。きっと大腸菌がいっぱい着い
ていたわよ。お前、良くお腹こわさなかった
わね」
 山崎の肩がピクッと震えた。朝からの激し
い下痢に思い到ったのである。
 澄江が寝そべったまま、会話に加わった。
「それにしても、昔は仮にも、お前も客とし
て奥様と対等に付き合ってたんだろう。……
それが、召使にされて毎日辱しめ抜かれた挙
げく、今度はセックス奴隷にまで落されるな
んて、……お前、男のくせに、よく黙って我
慢出来るわね」
 澄江のずけずけした言い方に、山崎の顔は
恥づかしさで赤く染まり、ひと言もない。
「もう足はいいわ。今度は腰をもんで」
 否応言わせぬ高圧的な調子だった。
 女中たちは、もう、山崎をまったく馬鹿に
し切っている事を隠すどころか、むしろ、わ
ざと明らさまに軽蔑の言葉や命令を投げかけ
て、その反応を楽しむようになっていたので
ある。
      ………………
「いったい、なんのお話よ。ちっともわから
ないじゃないの。はっきりおっしゃい」
 山崎の言い方がはっきりしないので、聞き
手の静子がじれていた。
 例の、朝の"おしつけ"が終って、静子が
化粧台から離れてソファ―へ移った直後のこ
とである。
 今まで化粧台のスツ―ルの上で、静子の尻
に顔を敷かれていた山崎は、何時もなら便所
掃除にかかっている筈だった。
 山崎は、静子の足元で額を床にこすり付け
て平伏している。
 彼のこの姿勢も、今ではすっかり〔身に着
いたもの〕になっていた。
 静子の前に出た時は、この姿でかしこまる
ように仕込まれていたのである。
 静子は、ソファ―に背を埋めて、足を組ん
でいた。
 大家の令夫人としては、やや厚すぎる化粧
だったが、それが、派手な彼女の顔立ちをい
っそう引き立てている。
 傍目にもまぶしいほどの美貌であった。
 煙草に火を付ける気配がして、ふーっと煙
を吐く音がした。
「あのう、奥様。一昨日の夜のお勤めの事で
ございます」
「うん」
 それがどうしたと、静子の美しい視線が、
伏せた山崎の頭に真っ直ぐに射付けられてい
た。
 先日の山崎の舌奉仕の快い感覚が、彼女の
跨間に残っている。
 又、今夜にでも、この男の舌を使ってやろ
うかと思っていた矢先だった。
「ですから、そのう私が、昨日下痢をしまし
たのは、そのお勤めの後でした」
「お前が下痢をしようがしまいが、私の知っ
たことじゃないわよ」
 静子にぴしゃっと決め付けられた。
「はいっ」
 さながら、蛇ににらまれた蛙である。
 こうして静子に訴える方法を取ったことを
彼は今や後悔していたが、もはや引き下るに
は遅過ぎた。
 以前、山崎が静子のバ―へ通いつめていた
頃は、遠慮深くではあったが、たまには冗談
のひとつぐらい、彼女に向かって言えない彼
ではなかった。
 が、何と言う立場の激変であろう。
 借金奴隷の境遇と、静子のきびしい"おし
つけ"とが山崎から、何時の間にか、まとも
な言葉を奪ってしまっていた。
「奥様、お部屋のお片付けをさせていただい
て宜しいでしょうか?」
 君子の声である。
「いいわ」
 静子の応答と共に、散らかった室内を片付
ける物音が始まった。
「で、どうなの? お前の下痢がどうしたっ
て言うの」
 静子が山崎の返事をうながす。
 しかし、同じ室内の君子の存在が、彼の舌
を一層重くした。
「で、ですから、お勤めの時に、大腸菌が…
…それで、下痢を……」
 少し離れた所で、クスリと笑い声がした。
 君子に笑われている事に気付くと、山崎は
思わず顔がほてった。
「お勤めの時にって……アラ、いやだ。お前
私のお尻を舐めたのが、下痢の原因だって言
うの?」
「もしかしたら……ですから、今度からはお
風呂に先に入っていただけたら……」
「まあ、とんでもない言いがかりだわ。……
第一、お風呂に何時入るか、お前の指図は受
けないわよ。それに大腸菌は消化を助けるの
よ。そりゃ、外の雑菌があったのかも知れな
いけど、人間、そんな事で下痢なんか起さな
いわよ」
「……………」
「ねえ、君子、いまの聞いてたでしょう。お
前はどう思う?」
 静子は、すぐ傍で立ち働く女中に問を投げ
た。
「あの、私は良くわかりませんけど。……何
でしたら、もう一度、実験なさったら如何が
ですか?」
 君子がニヤニヤ笑いながら答える。
「プッ、そりゃ良い考えだわ。……ねえ、山
崎、お前、明日の朝、寝室に来ておトイレの
前で待機してらっしゃい。お前の舌で、後始
末させてあげる。……いいわね。でも念のた
め二、三日は続けるのよ。お前の下痢の原因
を、突き止める為だからね」
 がんと頭を殴られたようなショックだった
。薮蛇とはまさにこの事である。
 しおしおと部屋を出る後から、ワッと女た
ちの笑い声が追いかけて来た。
 その翌朝、庭掃除を終えた後、山崎は重い
足を引きずりながら、夫婦の寝室のドアを叩
いた。
「おう、お前か。とんだ実験をさせられるそ
うだな。……まあ、入れ」
 勝造がニヤニヤ笑いながら招じ入れた。
 引かれたカ―テンから漸く朝日が射し込ん
ではいたが、室内には未だ生暖かい夜の空気
が澱んでいる。静子もベッドの中で目を覚ま
したばかりの模様だった。
 奥のバスル―ムに続くタイル張りの洗面所
の隅に、洋式便器がある。その前の冷たいタ
イルの上に、正座して待つ山崎の心は、みじ
めな思いに満たされていた。
 ベッドの方では、勝造といちゃついている
のだろうか、静子の嬌声が聞こえて来る。
 やがて、洗面所に現れた静子は、無造作に
便器に跨がった。
 その前に平伏する山崎の頭の上に、スリッ
パを穿いた静子の足が乗せられた。
 派手な排泄音が続くところから、彼女の腹
の調子はもうひとつのようだった。
 やがて静子のスリッパの先が、彼の頭をこ
ずいた。
「終ったわよ。しっかり、清めるのよ」
 彼女の豊満な白い尻が、仰向けにタイルの
上に寝た山崎の顔の上に覆いかぶさった。
 プ―ンと異臭が鼻を突く。
 白い双球の間が、見た目にもべっとりと汚
れていた。
「何してるの? 早く舐めなさい」
 ハッとして、舌を動かし、唇で汚れを吸い
取る。苦い渋味が口の中一杯に拡がった。
 懸命に吐気をこらえて汚れを飲み込んだ。
 ごくり、と咽喉が鳴る。
「フフフ、おいしいかい?………返事がない
所を見ると、お前の口に合わないようだけど
これからは、逆にお前の口の方を、その味に
合わすんだよ」
 涙にかすむ山崎の目の直ぐ前で、ピンクの
肉ひだが勝ち誇ったように息ずいていた。
 それから三日目の午後、山崎は静子の前に
呼ばれた。
「どう? お前のお腹の調子は。下痢でも起
した?」
「実は、………何ともあるません」
「そう。じゃあ、お前の感違いだったのね」
「はい。申し訳ございませんでした。……充
分わかりましたので、これからは、朝の清め
は御勘弁下ださい」
 額を床に擦すり付けて嘆願する男を、冷た
い目で見下ろしていた静子は、決めつけるよ
うな調子で宣言した。
「駄目よ。ダメダメ。お前は私に言いがかり
を付けたのよ。……間違っていたから水に流
すと云う訳にはいかないわ」
「……………」
「考えて見たら、お前、私にとても失礼な事
をしたと思わない? その罰を受けるのは当
然よ」
「……………」
「黙ってる所を見ると、覚悟して居る訳ね。
じゃ、いいこと。お前は、これから、永久に
毎朝私のトイレの後の清めを続けること。…
…いいわね、永久によ」
 平伏している山崎の肩が、ビクッと振れ、
言葉にならない呻きが洩れた。
「それだけじゃないわ。お前は、これから当
分の間、毎朝、女中たちのトイレの後も舌で
清めるの。……いいこと。女中たちのお尻の
汚れもお前が舐めて清めるのよ」
「おうーっ」
 と、びっくりするほど大きな嗚咽が、山崎
の口から出た。背が大きく波打っている。
「人には、それぞれ、うつわと云うものがあ
るのよ。うつわでわかり難くかったら、身分
と言ってもいいわ。お前の身分はね、私たち
のよりずっと低いの。でもせめて女中たち並
にしてあげていたわ。……それを、お前は身
のほど知らずにも、私に言いがかりをつける
ような事をしたでしょう。……だから、私は
お前の身分を女中たちよりもずっと低い所に
落す事にしたの。当然の罰だと思わない?…
…そして、その身分をお前に充分認識させる
ために、毎朝のトイレの後の清めを命じたの
よ。………さ、諦めて、新しい身分を受入れ
なさい」
 山崎の荒々しい号泣は、やや落着いた、し
のび泣きに変っていた。
 静子の足元で泣きじゃくりながら、彼は恋
いこがれる女に、辱しめられ、転落の淵に沈
められて行く自分を、心底情けなく感ずる一
方、不思議にも自分が一種のめくるめく陶酔
状態に置かれているのを意識するのだった。
〔完〕
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1986年4月スピリッツ4月号
(スレイブ通信44号に再掲載)
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2010/09/01